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かる毘庵

テコンドー指導員・坪井の諸愚考を不定期に連載していきたいと思います。
2024
03,19

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2008
11,13
試合の結果はと言うと、僕は負けました。
 
しかし試合に負けても何の後悔もありません。そればかりか清清しさ、充実感、達成感で一杯です。負けてもこんな気持ちになれる試合があるのだと思いました。負けても何の後悔もない試合が。
 
組手に対する意識が180°変わりました。
勝てないかもしれない不安、疲労、痛み等々、組手というと否定的な想いばかり連想していたものが、充足感、快感さえ伴うものへと変わりました。
その後の3位決定戦では怖いものなどありません。負けるはずがないとさえ思える程でした。

そこで3位に入賞し、念願の全日本大会への出場権を獲得する事が出来ました。その後の選考会の近畿大会では優勝さえ出来た程です。
その次の中部大会では初戦敗退し鼻を折られましたが(^^;)
そして僕はその年の全日本大会の注目選手として紹介もされました。・・・勿論自慢です(笑)
 
負け続け試合に出ることをやめていたら、今の自分はなかったと思います。
当然負ければ悔しいです。それを恥とさえ思う人もいるでしょう。しかし今思えば、勝った時より負けた時の方が得るものが多かったように思います。
負ける事で自問し、どうすれば良いか自分なりに試行錯誤する。その繰り返しだった様に思います。

負け続けているからこその苦しみがあり、勝利の喜びがあります。
勝つ事だけがすべてではないと、それはS選手との試合の時に感じる事が出来ました。出来れば皆にもそんな体験をして欲しいと思います。
テコンドーに限らず、そういった達成感は様々な事に生かしていけると思うからです。

何事も経験です。しかし、その経験を無駄なものと思ってはいけないと思います。
行動は何かしらの結果をもたらしてくれます。それは”かたち”のあるものかも知れませんし、”かたち”のないものかも知れません。
そこでしか手に入らない種類のものもあると思います。少しでも前に出て欲しいです。

小さな大会で手にした小さな自信が核となって、今の自分があります。
どこに転機が眠っているかは誰にも分からないのです。
 
 
 
中四国大会の閉会式の時、前にいたS選手が一言語りかけてきました。
 
「戦い方、変えたんですね」。

これが僕にとって、生涯最高の賛辞の言葉です。
 
『 組手意識変遷回顧録 ・ 終 』

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2008
11,09
去年に続き、また中四国大会に出場する事になりました。

その時僕は全日本大会の出場権を獲得したいというよりも、もう一度S選手と戦いたいと思っていました。

抽選が終わり、順調に行けばS選手と準決勝で当たる事になりました。
最早以前の自分ではないという自負があります。そして何よりS選手とどうしても戦いたいという強い決意がありました。

順調に勝ち上がり、ついにS選手と戦う事になりました。
僕はS選手との試合の為に広島に来たと言っても過言ではありません。その試合、出来るすべての力を注ぎ込みました。とにかく前に出て蹴りこんでいきました。

そしてこの試合の最中、不思議な経験をしました。
自分の放つ回し蹴りがコマ送りのようにゆっくりと流れるのです。試合の時は相手選手の事しか目に入らないのですが、周り人の顔、カメラのフラッシュさえクリアにそしてゆっくりと見えます。
事故にあった人がその光景を走馬灯のようにコマ送りに見たといっているのを聞いた事がありますが、それと同じ様な感覚だと思います。

その時は知りませんでしたが、極度に神経を集中させると起こる状態で「ゾーン状態」と言うそうです。この状態を経験したのは後にも先にもこの試合の時だけです。
 
試合が終わっても心地よい疲れ、充実感で一杯です。僕は何よりS選手と全力を出し切って戦えた事に喜びを感じていました。
 
試合の結果はというと…。
『 vol.5へ 』

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2008
11,06
僕はテコンドーをやっているうえで、黒帯になる事、そして全日本大会に出場する事を目標としていました。

しかし赤帯になり大会で入賞する事が出来る様になってきてはいましたが、まだ黒帯の人達と戦えるレベルにあるとは考えていませんでした。
 
当時、全日本大会に出場する為には年4回ある全日本大会への選考会である中四国大会、近畿大会、中部大会、関東大会のどれかに入賞しなければなりませんでした。出場資格は赤帯以上であり、初めて選考会である中四国大会に出場する事になりました。
 
完全に及び腰でした。今の段階では黒帯を締める相手と戦って勝つ事など出来ないと決め付けていたのです。では出なければ良いじゃないかという事になりますが、前述の通りです。(^^;)
 
しかし大会当日、一回戦目の相手は予想に反して僕と同じ赤帯のS選手でした。僕は完全にのまれていて、そして何よりS選手は強く、防戦一方で何も出来ませんでした。

不甲斐無い試合でした。当然旗は全本相手に上がり僕は負けました。そして相手のS選手は順調に勝ち上がり、確か決勝まで行ったように思います。
 
同じ赤帯でありながら片や黒帯相手というだけでのまれている僕と、そんな事は関係ないとばかりに黒帯に勝ち決勝まで勝ち上がったS選手。彼はその年の全日本大会の注目選手として紹介されていました。

とても情けない気持ちで一杯でした。その後の近畿大会、中部大会でも一度も勝てず、その年の選考会は終わりました。
 
そして時間は流れていき、邂逅やH君というライバルの存在や(僕が勝手にライバルと思っているだけですが^^;)試合経験を重ね、ある程度自信を深めていました。3月には地元の有級者の一番大きな大会である東海大会でも優勝する事ができました。

そしてまた全日本大会への選考会の季節がやって来ました。
 
『 vol.4へ 』

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