2008 |
11,06 |
僕はテコンドーをやっているうえで、黒帯になる事、そして全日本大会に出場する事を目標としていました。
しかし赤帯になり大会で入賞する事が出来る様になってきてはいましたが、まだ黒帯の人達と戦えるレベルにあるとは考えていませんでした。
しかし赤帯になり大会で入賞する事が出来る様になってきてはいましたが、まだ黒帯の人達と戦えるレベルにあるとは考えていませんでした。
当時、全日本大会に出場する為には年4回ある全日本大会への選考会である中四国大会、近畿大会、中部大会、関東大会のどれかに入賞しなければなりませんでした。出場資格は赤帯以上であり、初めて選考会である中四国大会に出場する事になりました。
完全に及び腰でした。今の段階では黒帯を締める相手と戦って勝つ事など出来ないと決め付けていたのです。では出なければ良いじゃないかという事になりますが、前述の通りです。(^^;)
しかし大会当日、一回戦目の相手は予想に反して僕と同じ赤帯のS選手でした。僕は完全にのまれていて、そして何よりS選手は強く、防戦一方で何も出来ませんでした。
不甲斐無い試合でした。当然旗は全本相手に上がり僕は負けました。そして相手のS選手は順調に勝ち上がり、確か決勝まで行ったように思います。
不甲斐無い試合でした。当然旗は全本相手に上がり僕は負けました。そして相手のS選手は順調に勝ち上がり、確か決勝まで行ったように思います。
同じ赤帯でありながら片や黒帯相手というだけでのまれている僕と、そんな事は関係ないとばかりに黒帯に勝ち決勝まで勝ち上がったS選手。彼はその年の全日本大会の注目選手として紹介されていました。
とても情けない気持ちで一杯でした。その後の近畿大会、中部大会でも一度も勝てず、その年の選考会は終わりました。
とても情けない気持ちで一杯でした。その後の近畿大会、中部大会でも一度も勝てず、その年の選考会は終わりました。
そして時間は流れていき、邂逅やH君というライバルの存在や(僕が勝手にライバルと思っているだけですが^^;)試合経験を重ね、ある程度自信を深めていました。3月には地元の有級者の一番大きな大会である東海大会でも優勝する事ができました。
そしてまた全日本大会への選考会の季節がやって来ました。
そしてまた全日本大会への選考会の季節がやって来ました。
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2008 |
11,03 |
11月2日にワールドカップの祝勝会が行われました。
大勢の方が見えられ、Mさん、Mariちゃんもさぞ嬉しかったろうと思います。
ワールドカップの写真を見せてもらいましたが、試合を楽しんで来た事が良く伝わってきました。
僕は演武に参加させてもらいましたが一発で決める事が出来ず反省しきりでした。一時、雨に濡れた子犬の様なもの哀しさにうち震えていましたが、周りの方に慰めて頂きました(^^;)
豪勢な食事とお酒が振舞われ、とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。ワールドカップに参加された選手の方々、会を主催された関係者の皆様お疲れ様で御座いました。
また2年後に、このような会が催される事を願っています。
大勢の方が見えられ、Mさん、Mariちゃんもさぞ嬉しかったろうと思います。
ワールドカップの写真を見せてもらいましたが、試合を楽しんで来た事が良く伝わってきました。
僕は演武に参加させてもらいましたが一発で決める事が出来ず反省しきりでした。一時、雨に濡れた子犬の様なもの哀しさにうち震えていましたが、周りの方に慰めて頂きました(^^;)
豪勢な食事とお酒が振舞われ、とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。ワールドカップに参加された選手の方々、会を主催された関係者の皆様お疲れ様で御座いました。
また2年後に、このような会が催される事を願っています。
2008 |
10,30 |
それは地元の人だけで行われる大会で規模としても小さいものでした。
僕が出ている階級はその体重制限からか只でさえ人数が少ないのですが、地元の人だけとあって更に人数も少なくエントリーも3、4人だったと思います。
そこで同じ階級の出場する選手を見て、ふと気付いたのです。自分の帯が一番上であるという事に。そこで初めてこう思ったのです。
「絶対に負けられない」と。
そこで同じ階級の出場する選手を見て、ふと気付いたのです。自分の帯が一番上であるという事に。そこで初めてこう思ったのです。
「絶対に負けられない」と。
その大会の試合は本当に必死でした。格好悪いくらい必死でした。何が何でも勝ってやるという気持ちで一杯だったのです。
しかし我武者羅にやった結果か、大会で初めて優勝する事が出来ました。
そして試合の後こう思ったのです。
続けていれば続けているだけのものが手に入るのだと。時間は取り分を持って行くものです。しかし時間をかけた分の見返りも置いていってくれます。
続けていれば続けているだけのものが手に入るのだと。時間は取り分を持って行くものです。しかし時間をかけた分の見返りも置いていってくれます。
その大会は小さな大会でしたが、そこで僕は小さな自信というものを身に付ける事が出来ました。その大会を機に少しずつ試合でも勝てるようになっていき、その小さな自信も少しずつ大きくなっていきました。
そうした中で重要な出来事がありました。
帯も上がり、僕は或るクラブの指導をまかされるようになりました。
テコンドーを始めて、自分が誰かを教えるようになるとは全く考えてもいませんでしたし、教えるにしても自分などに付いて来てくれるのかという思いもありました。
それでも何故引き受けたのか。
師範が怖くて打診され……(^^;)何故でしょう、今でもよく分かりません。
師範が怖くて打診され……(^^;)何故でしょう、今でもよく分かりません。
そのクラブの方達は全員級は下ではありますが、年上の方ばかりでした。
しかしそんな事は億尾にも出さず、皆さん年下の僕に付いて来てくれました。
しかしそんな事は億尾にも出さず、皆さん年下の僕に付いて来てくれました。
とても面白い良い方ばかりで、僕はそのクラブの練習に行くのがとても楽しみでした。
そうした中で僕はみんなに出来る事は何だろうと考えるようになりました。
そうした中で僕はみんなに出来る事は何だろうと考えるようになりました。
その答えが、もっと強くなるという事でした。大会などで入賞すれば少しなりとも強い人間に習っている事になりますから。
今までは自分の為に強くなろうと思っていましたが、その頃から自分の為だけでなく他の誰かの為にも強くなろうと思い始めました。組手の練習も以前と比べれば、意識の持ちようが変わっていきました。
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