2014 |
01,01 |
この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。
いつからだろう、理由を探す様になったのは。
何かの目的に為に行動を起こす。それは至極当たり前の事で、理由のない行動があるならばそれは人間だけに見られる特異なものでもある。
人に問われる。
どうして練習するのか。嫌になる時はないのか。
理由なんてない。やりたいから、楽しいからやっているだけだ。練習という言葉も適切ではない。真剣に遊んでいる、その言葉が相応しいのだと思う。
それが一昨年のイギリスワールドカップの時に初めて”練習”をしようと思った。そのメダルの為に。結果メダルを手にする事は出来た。しかしワールドカップが終わってみると、何かが変わっていた。
何も求めていなかったものからも対価を求める様になっていた。
理由がなくても楽しいから、やるからには一所懸命に。それが自分の強みの一つだった。しかしどこからか誰かが囁き掛ける、それはその一所懸命に値するものなのか。
「いや、おれは思っているほど強くないのかもしれない」と老人はいった、「でも、いろいろ手は知っているし、それに肚ができているってものさ」
-真珠星の時節、池田テコンドークラブ-
いつも熱心に家族で練習しているF家の皆。自主練していると兄のSyo君だけが先にやって来た。
S「今日はお母さんはお姉ちゃんを塾に送っていくから後から来ます。Ryoは身体がダルいから休みます。」
そうか、分かった。
S「…それで。」
…?。
S「僕は強くなりたいからここに来ました。」
…。
東海大会の折、S君は試合では負けていたが誰よりも声は出ていた。
彼の幼いが故の、大人になれば愚直だと形容される素直さが今はとても眩しい。
目的というものは人それぞれだし、求めれば必ず手に入るものでもない。
僕は何を求めていたのだろう。15年間続けてきて雑音も聞こえてくる様になった。
始めた頃とは様々な事が移り変わっていった。
星だって眠るじゃないか、月だって太陽だって眠る、海だって、ときどき眠るんだ。潮流も騒がず、鏡のように静かになってしまう日があるじゃないか。
戒壇の暗闇を手探りで歩く。進んではいる、しかし自分がどこにいるのかどれくらい進んだのか掴めずにいた。想いの入った砂袋からはいつの間にか砂が流れだしていた。必死に掻き集め様としても、そこには虚しさの粒しか残ってはいなかった。
鈴木大拙博士は仰られている。不可得なものは得ようとすれば手に入る事はないのだと。ツァラトゥストゥラは言う「わたしが、ここにある樹を両手でゆさぶろうとしても、それはできないだろう。しかしわれらの目に見えない風は、この樹を苦しめ、おもうがままの方向に曲げるのだ。われらの目に見えぬ手によって、もっともひどく曲げられ、苦しめられるのだ。」と。
目標を見定める事が出来ないままに練習は続けていた。種火をそっと心の固い場所にしまいこみ、なるべく考えない様に行動していた。
月日は流れていく。
それでも仲間達と一緒に汗を流し、その姿を見る度に、その真剣な眼差しや笑顔をみる度に、徐々に閉ざされた氷は解け始める。
あなたの練習を楽しみにしていると言ってくれる先輩がいる、もう歳だと何年も言い続けながら。あなたの様になりたいと言う後輩がいる、どんなに蹴られようが休みはしない。その瞳を輝かせがら見つめる少年と少女の姿。いつの間にか素晴らしい人々に囲まれていた様だ。
2012年、13年は選手集大成として臨んだつもりだった。世界大会には出られなかったがその2012年、2013年度の国際大会に於ける日本人シニア最高成績保持者は僕だ。その事実さえあればいい。そして火はまだ消えてはいない。
きっときょうこそは。とにかく毎日が新しい日なんだ。
そろそろ前を向く時がきた様だ。
格好いい男ではないし、褒められた様な人生を生きてきた訳でもない。ただこれから先、自分に嘘の無い生き様でありたいと願っている。全ては蓋棺事定だ。
国際大会メダル獲得率100%の底力、見せてやるぞ。
少年がかたわらに坐って、その寝姿をじっと見まもっている。老人はライオンの夢を見ていた。
『僕は強くなりたいからここにきました。』
Words by 『老人と海』 アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
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